テクノとは、シンセサイザーやドラムマシン、リズムマシン、ターンテーブルなどで構成される電子音楽の一ジャンルである。
現在、特にダンスミュージックにおいて言われている「テクノ」の発祥は意外に遅く、1980年代後半にアメリカのデトロイトで発祥した「デトロイト・テクノ」がルーツである。
デトロイトに多く居た黒人DJ達を中心に、近隣のシカゴで発生した「シカゴハウス」「アシッド・ハウス」に対抗する形で始まったのがデトロイト・テクノである。デリック・メイ、ジェフ・ミルズ、アンダーグラウンド・レジスタンスなどが活躍し、以降世界的に「テクノ」が広まった。
この流れがイギリスに流入し、「セカンド・サマー・オブ・ラブ」というドラッグとレイヴが結びついた大ブームが起き定着。ドイツでも1990年の東西ドイツ統一以降にベルリンで始まった「ラブ・パレード」という路上行進を行う世界最大のテクノイベントが始まりテクノが市民権を得るようになった。
日本では電気グルーヴやケン・イシイなど、メジャーレーベルではソニー・ミュージックエンタテインメント(SME)系所属のテクノミュージシャンが多かったこともあり、1990年代中頃にSMEから当時の海外の有力レーベル「R&S」「WARP」「RISING HIGH」などの音源が一挙にCD化されたり(通称「ソニーテクノ」)、世界初のテクノ情報誌「ele-king」が創刊されたり(現在は休刊)と、徐々に根付いていった。少し遅れて1999年に石野卓球が中心となって大規模室内レイヴイベント「WIRE」もスタートしている。
一言にテクノといっても様々なジャンルがあり、説明は困難である。大まかなジャンルの衰勢はこちらを参考にして欲しい。
ミニマルテクノとは一言でいえば「最小限の音数で、最小限の展開(変化)で構成されるテクノ・ミュージック」の事です。といってもジャンル分けに決まった法則があるわけでもなく、みんなそれぞれの曖昧な認識の元でカテゴライズされています。
事の発端とされているのは、1993年代初頭にデトロイト・テクノのアーティストである『Robert Hood:ロバート・フッド』と『Jeff Mills:ジェフ・ミルズ』の2人が立ち上げたハードテクノ寄りのミニマルなレーベル<Axis>と、それと同年にデトロイト・テクノのアーティスト『Daniel Bell:ダニエル・ベル』が設立したストイックなレーベル<Accelerate>だとされています。
そのミニマルテクノが産まれた当初はBPMが早く(130以上とか普通)ハードなミニマルが一般的だったわけですが(現ハードミニマル)、『Richie Hawtin:リッチー・ホウティン』の先進的なMix「DE9」シリーズの登場に加えて、ドイツの『Basic Channel:ベーシック・チャンネル』によるダブとミニマル・テクノの間の子であるミニマルダブの流行に、あと南米ディープシーンの牽引した『Ricardo Villalobos:リカルド・ビラロボス』らのクリック・ハウスや、ミクロ・ハウス(現在は消滅?しているジャンル)などのアーティストがミニマル業への転向した事がキッカケとなって、ハードじゃなくて、もっと地の底からグイグイくるようなディープなミニマル・テクノがハード・ミニマルの人気を追い抜きました。
テクノポップとは、シンセサイザー、リズムマシンなど電子楽器の音色を意図的に多用し、同じフレーズを反復する、独特の質感を持ったポップスを指す和製英語である。
海外ではエレクトロポップ(エレポップ)、シンセポップと呼ばれる。坂本龍一が「テクノポップ」という言葉を多用し日本でこの単語が定着したという説など、語源には諸説ある。
テクノポップの源流として、ドイツ出身のkraftwerk、アメリカ出身のDEVOなどが挙げられる。両者ともロボットのようなカクカクとした動き、ケイレンを起こしたような動きとともにテクノポップを演奏したのが世界中に注目され、その後日本でもイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)が登場する。
YMOは「RYDEEN」などをヒットさせ、1980年代初頭にはブームが訪れる。P-MODEL、ヒカシュー、プラスティックス、ジューシィ・フルーツなども登場し活況を呈した。「みんなのうた」では「コンピューターおばあちゃん」が流れ、アイドル歌謡もテクノポップ臭の強い曲が数多く発表された。(これら「テクノポップ+歌謡曲」の楽曲は「テクノ歌謡」としても称される)
その後、流行の変遷(第2次バンドブームの到来やTM NETWORK、デビュー当時のB'zなどの「ロックっぽい電子音楽」の台頭)により「テクノポップ」は忘れられかけたが、中田ヤスタカを始めテクノポップ時代の音を取り入れリバイバルする動きにより近年再び再評価されている。Perfumeもその流行に乗り活躍中。
ニコニコ動画的には、VOCALOIDの持つ「生声とは違うぎこちなさ」がむしろテクノポップのピコピコ音に合うことが発見され、数多くの使用曲が掲載されている。
80年代テクノポップと現在のテクノポップの相違点
代表的な点を挙げると以下の通り。
80年代に「テクノポップ」と称されたものの中には、ニューウェイヴ的な楽曲も多く含まれる。これは、ニューウェイヴそのものが「それまでのロック・ポップスから逸脱した新潮流」的な意味合いを持ち、テクノポップもその一部であったために混同されたものである。また、現在のようにジャンルが細分化されていなかったことも大きい。
現在のテクノポップは、かつての「テクノ歌謡」的な楽曲も一緒にされることも多い。歌謡曲というジャンルが90年代初頭に「J-POP」にその役割を奪われて細分化し、再評価された際に広義での「テクノポップ」(この場合テクノ歌謡も含まれる)として定義されたのが要因と思われる。テクノポップと評価されるPerfumeも、実は80年代の定義で言えばテクノ歌謡の方が近い。
さらにPerfume含め近年テクノポップとしてリリースされた音楽の大半は「フューチャーポップ(ハウスやテクノにボーカルを乗せたもの。HEAVENLY STAR/元気ロケッツ、YUMEGIWA LASTBOY/SUPERCARなどが有名)」の影響が強く、80年代に作られたテクノポップとは違う音構成や雰囲気を持つ。
シンセサイザーの起源は、1919年にロシアで開発されたテルミンまで遡ることが出来る。
楽器として使えるシンセサイザーを開発したのは、アメリカのロバート・モーグ博士である。博士の開発した「モーグ・シンセサイザー」は世界中のアーティストに愛されている。
日本においては冨田勲が初めてシンセサイザーを使用して楽曲を作り、またYMOが楽曲の制作・演奏にシンセサイザーを活用し、「テクノポップ」を広めたことが知られており、それ以降、シンセサイザーは技術の進歩によって、より安価で高性能になり、急速に普及していった。
また、アーティストと楽器メーカーが共同開発したシンセサイザーもある。例としてYAMAHAとのコラボレーションでTMN(小室哲哉)・浅倉大介がシンセサイザーを開発し、市販された経緯もある。
現在の音楽シーンにとって、もはやシンセサイザーはなくてはならない機材と言えよう。
国内メーカーではローランド、コルグ、ヤマハが世界的に有名。かつてはカシオ、カワイも生産していたが、カシオは廉価キーボードのカシオトーン以外は撤退、カワイはK5000シリーズを最後に撤退している。
トランス(Trance)
トランス(Trance)は、ハウスから派生した音楽の一種である。130から150くらいまでのBPM(テンポ)のリズムに加え、うねるような旋律を奏でるのが特徴。そのリズムやメロディは、さも脳内の感覚が幻覚や催眠を催す「トランス状態」に誘うかの様な様式からトランスと呼ばれている。
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